きおくのでんぱがゆんゆゆん!

ネット上にほとんどない情報のメモ。雑多に作者の記憶、できる範囲で調べた情報を頼りに記述しているので内容は軽く参考程度にしてください(汗)

コンクリート製ゴミ箱と謎の石碑

東京都西東京市の住宅街で古めかしいコンクリート製のゴミ箱を発見。
これは以前府中市(東京都のほう)などで使われていた道端に設置され、いつでも家庭ごみを捨てられるダストボックスのようなものかと思って調べたらそうではなく、昭和初期から30年代にかけて各家庭で個人購入し、使われていたものらしい。(→参考
今でいう青いポリバケツのようなものかしらん? ……つーかポリバケツ(ペール?)も最近見なくなった気がするけど。集積所には半透明のゴミ袋に鳥よけネットがデフォ。
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by the way このゴミ箱の数十メートル先、アパートの前庭、ツツジの生垣の脇に「芳野台」と彫られた謎の石碑が存在。裏を見ると「昭和丗年一月三日 建設者」とある。
「丗」は「さんじゅう」と読むので「昭和30年1月3日」に造られたこの石碑。当時は西東京市でも、遡って保谷市でもなく、北多摩郡保谷町だった時代。まだ保谷硝子(当時・保谷クリスタル硝子製造所、現・HOYA)の工場があった時代。
ネットを駆使して検索してみた限り、この石碑の情報はなく、付近に「芳野台」という地名は過去にわたっても存在せず、謎。
ただ、この石碑が建つ敷地のアパートの名称に「芳」という字が含まれているほか、付近にも同様のアパートがあるので、その経営者や石碑の建設者の名字などが関係しているのかもしれない。
また、国土地理院の地図・空中写真閲覧サービスで石碑が造られて間もない、昭和30年10月9日に撮影された写真を見ると中央、保谷硝子の工場の左上・北西の石碑の建つ付近に数軒、家のような建物が確認できるのでこの家々の新築に際し、今でいうニュータウンの「○○台」みたいなのをイメージしてつけられた名称かもしれない。
……などと勝手に想像してみる。
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